村上信五が好きだった。

 

現在24歳、職を転々としているオタクです。

社会人歴は3年目、ジャニオタ歴は14年。

 

関ジャニ∞と出会うまで。

2005年、ごくせん2で矢吹隼人、小田切竜と出会う。2人の美しさにのめり込み、ビデオテープがリアルに擦り切れるほどごくせんを見た。竜が好きだった。

2006年、KAT-TUNデビュー。赤西担として茶の間から応援していた。小学生だったのでお小遣いを貯めてCDを買い、クリスマスプレゼントでDVDをサンタに願い、毎日毎日家でも車でもどこにでも持っていって、すべてを暗記できるくらいKAT-TUNに触れていた。

2007年、仁くんの留学。少し悲しかったけど、そこまで理解できていなかったので、少しお休みくらいに考えていた。テレビ番組をひたすら見ていた。相変わらずお金はないので、近くの中古CDショップでDVDを探して彷徨っていた。

2008年、少し熱は冷めていたものの、好きだった。

この頃、中学校の同級生がエイトにハマっていて、47のDVDを貸してもらった。これが私の人生を、それはもう大きく変えた。

 

明るい茶髪、軽くメッシュが入っていて、白いカッコイイ衣装でガシガシ踊っている男前がいた。

村上信五だった。

これ以前、関ジャニ∞のことは、うるさくてガシャガシャした集団という認識だったが、Forwardの村上信五を含めた47のDVDは当時の関ジャニ∞に対するイメージをガラッと覆した。確かではないけどタイミングよく無責任ヒーローが発売されて、初回限定版を買った。ここで完全に沼にハマった。理由は説明するまでもないとは思うけど、この初回限定盤には、あのdesire、torn、ホシイモノハ。のライブ映像がついていたから。更に言うと信五のジャケ写のビジュアルがとんでもなくかっこよかった。

KAT-TUNに対する、かっこいいねーそうだねーって同級生と顔を見合わせて言うような感情じゃなくて、まさに息を呑むような、かっこいいとかすごいとか声に出せないくらい、なんかもうとにかく異常な体験で、私はeighterになっていた。

 

そこからはもう爆速でオタク生活が始まった。以前のライブDVDやCDやアルバムや…集められるすべてを集めた。テレビ番組、雑誌、新聞、ラジオ、手に入れられる情報をすべて追いかけた。高校生になって、学校がバイトOKだったこともあり、月に5万くらいは好きに使える状態だったので、貯金なんて全くせずにひたすらグッズを買い漁った。もともと漫画やフィギュアやらを集めて飾ることが好きだったので、グッズ収集の勢いはここから数年続くことになった。

受験やら、家庭のことやらで波はあったものの、基本的には80%から120%の間の波しかなくて、つまりほとんど常に全力で応援していた。私がエイトを好きになったのが2008年だとして、その時にはもうエイトの流れが来ていたんだろうなと思う。どんどん有名になって、大きな仕事をして、楽しそうに、でもしっかり仕事をこなしているエイトを見て、とても誇らしく頼もしく、愛しいと心から思っていた。

ライブに行くにはFCに入る必要があることも理解して、年に一度は必ず行けるようにがんばった。最初は8祭で、そこからは毎年東京ドームに参戦していた。4つ離れた妹(大倉担)の分もチケット、グッズ、交通費などを負担していたので2days参戦くらいが限界だったけど、その分その瞬間の喜びはひたすらに大きかった。

たくさんの作品を作り出してくれて、本当に楽しい日々だった。

20歳になったころ、一人暮らしを始めて、余裕がなくなり、今までのようにグッズを好きなように買ったり、毎週テレビやラジオに付きっきりになることが難しくなった。それでもなるべく触れていたくて、出来る限りそれまでと同じように応援していた。

 

今思うと、この頃から少し純粋な応援ではなくなっていたのかな、と思う。

新しいエイトがみたい、どんなワクワクを与えてくれるだろう、という期待と同じくらいに、今まで全部買っていたのに、知っていたのに、ここで妥協するわけにはいかない、という意地のようなものも同時にあった。

この

買わないとだめだ。が

応援しないとだめだ。になって

好きでいないとだめだ。のように、いつの間にか少しずつ形を変えて私の中にいたんだと思う。

でも認めたくなかった。

自分がその時まで生きてきた中で、関ジャニ∞がいない瞬間があまりにもなさすぎた。関ジャニ∞を応援していること、eighterであることだけが私のアイデンティティだった。大袈裟で恐ろしい表現にも思えるかもしれないけど、私が私であるのに、関ジャニ∞は必要不可欠だと思っていた。

 

そんな無意識の中、彼の脱退が発表された。これはきっと、トドメだった。

今となっては責めることも、悲しみも、なにかしらのネガティブな感情もないが、当時は信じられないくらい落ち込んだ。私が知ったエイトは7人のエイトで、それが私の全てだったから。6人になって追いかける気力はなくなった。でもまだ意地もあって。ライブには行けなかったけど、6人の作品を買うことで自分を自分で居させていた。

 

そして去年。とうとう私のeighter人生は終わった。実際はもっと前から、昔の純粋な熱はなくなっていたけど、もう目を背けられなくなった。

 

おこがましいことは100も承知だけど、今の彼らに私のようなファンは必要ないと思う。

今の彼らを、またこれからも支えていけるファンが必要なのだと思う。

 

村上信五が好きだった。

関ジャニ∞という大きな輪の中で輝く彼が好きだった。

その前提が私の中では変わってしまった。

厳密に言えば、今も信五のことは好きだし、もっと大きくなって帯番組とかやって、もっともっと有名になって、もっともっと活躍してほしい。

でも、私はここから、ただのいち視聴者として、応援したいと思う。

 

本当に、本当に、関ジャニ∞が好きで、誇張とかではなく、私のこれまでの人生は関ジャニ∞と共にあった。

 

今までありがとうございました。

大好きでした。